川遊び
僕がまだ小さかった頃の話。
その頃は週末になると田舎のばあちゃんの家によく行っていた。
山とか野原とか、都会ではほとんど経験できない遊び場があるから、全然退屈はしない。
僕は特にばあちゃんの家のすぐそばを流れる川で、水遊びをするのが大好きだった。
その川は田舎の子どもたちにとっても貴重な遊び場で、いつも大体5~6人の子どもでにぎわっていた。
ある夏のこと。
僕はいつもの遊び仲間と一緒に、セミがうるさいくらいに鳴いている川辺で遊んでいた。誰が言い出したのか、その日は素潜り大会をしようってことになった。川岸から跳びこんで、誰が一番長く潜っていられるかを競う。ちゃんと潜っていたかを証明するために一人ずつ跳びこんで、あとの皆は周りで時間を数えているルールだ。
皆は僕が都会から来ているからって「どうせそんなに潜れないだろう」と笑ってた。でも僕には勝算があった。だって僕はスイミングスクールに通っていたし、25メートルくらいならノンブレスで泳げたからだ。
皆はそれを知らない。
僕は皆の驚く顔を想像して、内心ガッツポーズした。
一人目が跳び、二人目が跳び、そして僕の番が来た。
僕は岸にのぼり、皆の喚声を背に岸から思いっきりジャンプする。
少しの浮遊感の後、ざばん、と大きな音を立てて着水。
息を漏らさないようにしっかり口を閉じ、鼻をつまむ。目を閉じたままゆっくりと沈み、川底に足がついてから目を開けた。
すると、なにか白いもやのようなものが目の前に漂っているのが見えた。
なんだろう、泡……?
ゆらゆらと水中にとどまるそれは、泡じゃない。泡だったら水面に向かって浮かび上がっていくはずだ。
じゃあなんだろう?
目をこらす。
水の中で揺らいでいた視界が次第に定まってくる。
目の前に浮かぶその「もや」は、灰色に濁った瞳でこちらをぼんやりと眺める人間の顔に見えた。
それに気が付いた瞬間、僕は驚いてつい空気を吐き、はずみで水を飲んでしまった。
がぼがぼとせきこみながら水をかき、やっとの思いで川面に口を出す。
げほげほ言わせながら川岸に這いあがると仰向けにひっくり返って荒い息をついた。
ようやく咳が止まり体を起こす。
すると、つい先ほどまでいたはずの遊び仲間が誰一人いなくなってた。30秒も潜っていなかったはずなのに、僕だけを置いて帰ってしまったんだろうか。都会者をからかうためにこっそりどこかに隠れたのか?
隠れられそうな場所はいくらでもあったけど、さすがに早すぎる気がする。
僕は首をかしげながら、跳びこんだ岸にそろえたままだった靴を履く。とりあえずばあちゃんの家に戻ろう。お腹も空いてきたし。僕を置いて帰った仲間たちには、また明日文句を言ってやる。きっと僕が一番長く潜れてたから、皆びっくりして勝負をつけさせないようにしたんだ。
そんなことをぶつくさ言いながらばあちゃんの家に向かって歩いていると、ふと気が付いた。
あんなにうるさかったセミの声がまったく聞こえないんだ。
風も吹かない。葉擦れの音すらしない。
砂を踏む自分の足音だけが響いてる。
人っ子一人見かけない。
都会ほどではないけど田舎だってそれなりに周りの音はするものだ。
だというのに耳が痛くなるほど無音だった。
しかももう30分は歩いている気がする。
ふだんだったら5分も歩けば家に着く道のりなのに、いつまで経ってもばあちゃんの家が見えてこない。たしかに見覚えのある道なんだけど、いくら歩いてもどうしても家にたどり着けないんだ。
もう半べそをかきながら、足を引きずるようにしてひたすら歩き続けた。
そうこうしているうちに次第に日が暮れてきた。
街灯もない田舎道。あっという間に日が落ちて、真っ暗闇になってしまった。
僕は歩き疲れてもう一歩も動けず、田んぼのあぜ道に座り込む。我ながらずいぶんと疲れていたらしく、草むらに寝転んだとたんに眠りに落ちた。
5分くらい寝たかな……と思ったとき、めちゃくちゃに体を揺さぶられるような感覚に襲われた。バンバンと胸を叩かれる。痛い。せっかくいい気分で寝ているのに、誰だ、邪魔するのは。
そう思うと死ぬほど腹が立ってきた。
ムカムカして、今すぐ怒鳴りつけたい気分になる。
「なんだよ!!」
衝動のままに跳ね起きて怒鳴った。
目の前には呆然とした表情の母親がいた。2、3度まばたきをしたかと思うと、母の両目に涙があふれてくる。次の瞬間、母は僕の名前を呼びながら抱きついてきた。
僕は状況がよく呑み込めないまま、なぜか自分が病院のベッドの上に身を起こしていて、周りを家族に囲まれていることだけ理解していた。
僕が目を覚ましたのは、あの素潜り大会から3日が経った日のことだった。
後で母から聞いた話によると、僕は川に飛び込んだ瞬間に水を飲み溺れてしまっていたそうだ。たまたま通りがかった人が見つけて通報してくれなかったらそこで死んでいただろう。病院に緊急搬送されたあと、しばらくの間は昏睡状態で生死の境をさまよっていたらしい。
母親は僕に「これからは絶対に一人で川に行っちゃだめよ」と言った。
「友達と一緒に行くから大丈夫だよ」
と反論したが、母親は許してくれなかった。
「だめよ」
母親は僕に言った。
「一緒に遊びに行く友達なんていないでしょ?あの辺の子どもはあなただけなんだから」
(了)
作者:あんどおひふみ